09/12/26 02:14:32 N+ql/yv80
神の印つけた悪くるぞ。
まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けなならんぞ。
日月神示
>>488さん
>「我が言の葉の意味を受くる力のある者のみ、我が言葉を受けよ」
そうですね、そういうことになるのでしょう。よいお話です。
情報があふれている世の中では、難しい言葉もわかりやすく説かれた言葉も誤りでもないし正解でもないとは、
それを便利使いするものが現れる土壌があることを示唆しています。
特に多少苦労を経験した事がわかったつもりにさせる土壌となり巧みに利用する者への栄養源を提供します。
ここでその利用と関わりながら登場するのが、それも自己責任、2元ではない 等のキーワードです。
アセンションの2極化が知らずに進んでいるということに繋がっています。
同じ言葉を用いながら些細と思われる態度の違いが枝のように何本も分かれ道となっています。
例えば先達の言葉の原文での引用はオリジナリティがないと何かの刷り込みで恐れを抱いていると、分かれ道で『何か』にうまく便利使いされるでしょう。
〔>古代のギリシャ人の言葉(確か)をふと思い出しました〕のように 古典を引用して語ることはそれだけでも十分個性的であり、
人は何をしていてもオリジナルであり、人はみな何をしなくとも差異があるという基本理解がないので個の確立に向うことができないのでしょう。
個の確立がないと全体主義に依存することはあっても全体を見渡す見分けるリアリティの欠如がおこるでしょう。
先に差異の理解があれば恐れる必要はないはずです。