10/01/20 01:24:16 2oOgOv95P
横から長文いいかな。俺はそれこそ何もわかってない初心者なんだけど。
最近、意識の中心っぽいものを自覚したんだ。物を見ている自分の主体に注意を向けたら見つかった。
あんまりあっさり見つかったんで、ほんとにこれでいいのかなとも思うんだけど、
それを自覚し続けようとすると難しいし、たぶんこいつが十牛図の牛、観照意識、自己想起ってやつだろう。
(魔術用語で言うと何になるんだろ?)
ともかくそれを意識しつつ、ヴィパッサナー瞑想の真似事をやってたりするんだけど、
たまにその「中心」から円状に広がるように、パーッと霧が晴れ渡ったような、雑念のない感覚をおぼえるときがある。
お、これが魔術に必要だという「思考の停止状態」なのか? と思ったけど、ふと疑問が。
生命の樹とか照応とかを身につける意味って、想像力を増強することにあるんだよね?(と自分は解釈してるんだけど)
でもそれって、「思考の停止状態」とはコンフリクトしないのかな?
何かを見て連鎖的にイメージを想起するのは、禅の文脈だと雑念として否定されちゃいそうな気もする。
それとも、「思考の停止状態」は過程に過ぎなくて、俺のまだ知らない「魔術的トランス」まで行けばわかるのかな?
本を参考にしつつ一人で考えてるんで、前提が間違ってるかもしれないけど。
自分の感じてる意識の状態がどう位置づけられるのか知りたいので、ヒントでもいただけるとありがたいです。