09/11/24 23:14:57 MN2BY27l0
>>45
>「万物照応で777の表を見て喜んでたら、だめ、絶対だめw
>あんなの死体。もっとダイナミックに木を捉えなきゃ。
(以下略)
それは当たり前の話だろ。
ここで問題にしているのは、本当にそれで良いのか?っていう問題じゃないの?
要は、カバラの修正主義的な面、『捏造』をし易い性質を積極的に
使っていくかどうかって話だと思うが。
777はあくまでもGDの連中が箱に分類した個別の要素を
クロウリーが綺麗に整理整頓したもので、あれだけ暗記しても何も効力はない。
生命の木という枠組みを用いて様々な事象の成り立ちを分析的にとらえ、
何をどうしたら物事が変化し動いていくのかという思考と感覚の連想の仕組み
を心の中に作り上げ、それを元に行動できるレベルまで錬成できて
初めて意味が出てくるもの。魔術儀式はその為の方法の一つに過ぎない。
問題点は、それが生命の木という枠組み以上の意味を持たないということだ。
「木」をその骨格とし錬成によって育ったメカニズムの骨格以外の肉付けは
あくまでも個人的なものだ。(「木」も一つの観点に過ぎないが、それはまた別の問題。)
何故ならその肉付きの基礎となるのはその人の人生における経験や学習によるものだからだ。
結局のところ、その人個人の物語を現実の世界に引き下ろす事が魔術的カバラの目標になってしまう。
大魔王がやろうとしているのは、枠組みとしての「木」以上のものをカバラの源流たる
ユダヤの伝承やそれに基づいた密教的手法を魔術に持ち込もうとする試みだと思う。
しかし、それを個人の宗教の自由に反しない形で導入できるか、
或いは、それが生命の木の枠組みだけの個人起点の物語よりも本当に優れているのか、
と言う意味では難しい問題じゃないかと思う。