09/12/13 23:14:46 uPosizyi0
>>977
俺はコテハンはつけない。
理由はいくつかあるが、まず第一に現在在る「俺」という存在及び思想は「今」だけのものだからだ。
明日、明後日、一週間、二週間すれば、また俺は別のモノになっている。
時間帯やタイミングによっても「俺」という人格、存在は全く別モノになる。
そんな曖昧なモノに名前をつけて固定化する事はできない。
また、コテハンをつけなくても嗅ぎ分けれる人間には嗅ぎ分けられる。
暴言を吐いても耳を傾け、興味を持つ人間は毎回いる、彼らは名前や肩書に捉われず宝を拾うだろう。
俺以外の誰かが俺のように喋ったとしても、そこに宝があるならそれでいい。
俺も君から宝を拾った事もある。
誰もが宝を手に入れ、降ろす資格と資質がある。
語り手は誰であってもいい。
大統領が語ろうと、乞食が語ろうと、言葉の意味は変わらない。
好きな人間か語ろうと、嫌いな人間が語ろうと、言葉の意味は変わらない。
ところが、表面上の情報(肩書、言葉遣い)に惑わされて本質に触れる事ができないアホが如何に多い事か。
詐欺師は丁寧な言葉、それなりの肩書で詐欺をする。
なぜなら、汚い言葉遣い、粗末な肩書では「信用されない」からだ。
俺はこれを逆手に取って暴言を吐く事で「信用させない」
すると、どうなるか?
ご覧の通りだ。
関係無いが俺はこう言おう。
陸に住む我々の肉体は水の中に入ると息継ぎをする必要がある。
そうしないと「溺れる」からだ。
では、陸なら大丈夫かというとそうではない。
我々は陸でも「呼吸」という名の息継ぎをしている。
呼吸をしないと我々は陸でも「溺れる」のだ。
我々の本体の居場所はこの世では無い事は何となくわかっているだろう。
我々は我々の故郷に帰った時、息継ぎをする必要は無くなる。
精神世界にもニートはいる。与えられっぱなしで自己生産できない奴らだ。