09/12/07 15:09:06 hyS/pI2c0
◆rfvLewovkAさん
過去を反省するというよりも今の瞬間を省みるような速さです。
それを光の世界ともいいます。
サニワは、しようと思ってするのではなく、副産物のように背後の霊的なものが同時に視えます。
所謂霊能力者?の霊視とは違い全員に備わっている霊的視力です。
なぜなら神の子であるからです。
それを思い出す、再開すること、副産物としての視力回復です。
そういう観点から神霊か諸霊かといいました。
素質や環境により自分を固めてきたものを打ち砕かなければならない時もあり
優しい言葉では自分を離れるというのでしょうけれど、消極性を指しません。
善悪は、先に述べました抑圧により袂を分かつネガかポジかというような現実的な場面が入り口です。
裁きはもともと神の子である自分が自分自身で行うともいえます。
神の完全管理からはなれ、自立して自分の手で選択し自分の意思で神に出会うかどうか。
善悪を知る木は、自由を手に入れた場面でありそれにより現実界は善悪が生じざる得ない。
それは自分の霊性そのものでもありますから、行き先が個人で違うのは当たり前でしょう。
人が裁くのではなく自分が知っていて後は神の御心のままに委ねるしかありません。
なぜならそれが自由の幅の広さでありどこへ向かおうが自由であるからです。
アセンションの選別とは人間の自由とセットで捉えないと被害者意識に陥るでしょう。