アセンションは既に始まっている phase10at OCCULT
アセンションは既に始まっている phase10 - 暇つぶし2ch541:薺
09/12/03 15:54:32 v88LKcKY0
神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、
どうしてそうなるのか、その人は知らない。
地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。
実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである。」(マルコによる福音書4:26-29)


神の国は死んでいる種を撒いても入れない。
ただ撒くだけでよいと語られているのは、命が宿る種を手にしているということの方に重点が置かれているからです。

イエスキリストは例えを語る。
いつ育っているか、どうしてそうなるのか、任せる事ができるのは人の及ばぬところを知っている、神を知っていることです。
けれど種を撒かなければ実りはないので撒きます。撒くとは命のことです。実りを生きることが人が出来る事、人がしなければならない生きる(命)ことです。
手にした種が種であると言えるのは、実りの中から生まれた種であるからです。
実りから種が生まれ、その種を「撒く」と実る。
実りがないと種もない、ないものを撒いたり、ないものが実ったり、ないものを刈り取ったりはできないはずです。
実りの種からならば、種を撒くと必ず実を結ぼうとはじめから躓く事はない。
外見は種でも中が空っぽの種=人間が神と和解せず人間の力をどれほど過大評価し、どれほど世話をしても虚からは実を結ばない。
任せる事ができるのは、種であるからです。
実っているもの=神、神霊
虚=諸霊
実を結んでいる神から頂く種であれば神の国へ入る事ができると語られています。
神と出会い、神と和解しその実から取れた種を撒く。
私たちが交わっているそれは神から出た霊ですか、人間から、あるいは他のものから出た諸霊ですか。




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