09/11/28 16:09:00 A+XoVhP70
>>553
552ですがご解説ありがとうございました。
聖徳太子のゆかりの太秦は、漢読みでダージーで東ローマ帝国、
大酒(神社)は太辟の転化でダビデのことなどから、元ユダヤのレビ族
の帰化人を積極的に取り込んだと読んだことがあります。
契約の箱はその時持ち込まれたとお考えなのでしょうか?
どこに隠したかはともかくユダヤ人が、剣山の探索にきたこともあるそうですね。
ここからは、雑談ですが、法隆寺の救世観音像のモデルが聖徳太子だとすると、
西洋人のようにも見え、ユダヤ人の血が入っていたのでは?と妄想したくなります。
また、法隆寺のつくりが世界の東西をあらわすなら、現在のアカサタナハマヤラワ
の音図そのものではないかとも思いたくなります。もちろん、仮名はなく、古代文字
だったでしょうが、彼が古代の文書や文字を隠匿した主犯であったような気もして
います。(笑)