09/11/15 19:55:26 972HLhiI0
自然科学としての未確認動物学はボクシングのオリンピック決勝戦の様な物だ。
そこにはショーアップもギミックも存在しない。現実の強さだけが全てを支配する。
混じり気のない真実だけが持つ冷厳だが崇高な感動がそこにある。
怪物譚としての未確認動物話はプロレスの看板スター対決の様な物だ。
そこにはドラマとファンタジーが存在する。ストーリーは現実の強さに裏付けされている。
神話や伝承に含まれた空想と現実の境界を垣間見る感慨がそこにある。
アメリカ式の考え方ではプロレスファンを3つの層に分類する。
「マーク」はリングの内外で起こる事を全て真実と捉える層だ。
タイガー・ジェット・シンはインド王族で生まれ付いての極悪人、と言う事になる。
「スマート」はリング内外で起こる事の裏にある虚構の理由を分析して楽しむ層だ。
インド系カナダ人のタイガー・ジェット・シンは何故本国と日本で善玉と悪玉を演じ別けるのか、と言う風に。
「シュマーク」は前2者の要素を併せ持つ層だ。
素顔は温厚な紳士であるタイガー・ジェット・シンが悪役を演じ切るプロ意識に舌を巻く、と言う具合。
ボクシングも楽しいがプロレスも楽しい。
だが素人の弱い者虐めを見ても楽しくない。そういう事だろう。