09/11/05 17:47:01 C2HNCsE+0
>844
飯綱の法修験者として中世鎌倉にはその名が見える実田(真田氏)が建築した
上田市の旧市街も信濃町と同じように「感覚が狂わされる」まだ真田一族が
しかけた鬼門遁甲の技術が500年経っても機能している、ある意味凄い土地
秀忠が迷子になったというかホイホイ誘い込まれハメられたのを実感できた。
真田一族は長門・風間(風魔)と共に甲賀忍者(柘植・石川)と連携して情報網を
持っていたようだが彼らは新羅系の移民らしい(書記にも北信・東信に遠島
したとある) 伊賀の秦氏(服部)は呉と韓から来た大陸系なので違うみたい
方向感覚を狂わせる、視覚の錯覚を起こさせるなどある意味人間工学こそが
風水&鬼門遁甲の奥義なのか?と思わせられる。(大阪冬の陣の真田丸では、
徳川方の死者8割を記録しているが武者をホイホイ連れ込む仕掛けがあった?)
上田城・姫路城など現地に行くと人間工学としての鬼門遁甲の凄さを実感