09/10/27 00:38:46 TIKsEC4J0
>>839
ノ(´д`*) 思いっきり杉浦さんの指摘を忘れてたわw㌧クス 暴恋棒吉宗が
服部を信用せず和歌山から野牛一族連れてきたときに>>833さんの指摘した
増上寺(光明寺)勧進した中世からの熊野一族と連携したんかな?
タタラといえば鮮卑発祥だしね。将門軍の刀は曲がっても折れず耐久性に優れ
皮の鎧を使用したため機動力も×群。朝廷は鉄の鎧で騎馬の機動性が悪く
刀は切れるが欠ける折れるで、制圧後韓鍛冶を捕虜に連行し、倭鍛冶との
技術提携で「韓鍛冶の柔らかい鉄で倭鍛冶の鋼を挟む日本刀ができた」と
書記を読むと新羅移民≒鮮卑は粗暴でDQNだったため武蔵に追放された
とあるからタタラ一族は奈良時代から関東にいたんだろうな。その頃には
既に移民ニダーは風水技術(鬼門遁甲)も持っててもおかしくはないか。
面白いのは寛永時から増上寺まで「時計回り悪霊ガードルーレット」の流れがある
こと(最初に門で異変を感じコンパスでもぶれを確認)増上寺の補強という形で
寛永時を江戸城(皇居)の鬼門に置いた?
(地図で確認したら北東から南西へ寛永寺-皇居-増上寺と直線にある!)