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マルコポーロ事件とは、1995年に日本の文藝春秋が発行していた雑誌『マルコポーロ』が、内科医西岡昌紀が寄稿したホロコーストを否定する記事を掲載し、そのことを理由として廃刊したこと、及び当時の社長の辞任や編集長が解任された事態を指す。
発端は、文藝春秋が発行していた雑誌『マルコポーロ』の1995年2月号に掲載された記事「戦後世界史最大 のタブー。ナチ『ガス室』はなかった。」であった。
記事は国立病院に勤務する西岡昌紀が、1989年頃から収集した英文資料と、1994年8月にアウシュヴィッツとマイダネクを自ら訪れ、多数の写真撮影などを行なった上で執筆したものであった。
この記事を掲載した『マルコポーロ』1995年2月号が発売されたのは、1995年1月17日、阪神大震災が起きた日であった。
このため、当初発売直後はマスメディア上の反応は、震災報道に覆い隠されていた。
雑誌発売を受けて直ちに、アメリカ合衆国のユダヤ人団体とイスラエル大使館が、同誌を発行する文芸春秋社に抗議を開始した。
特にサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が内外の企業に対して、文芸春秋社発行雑誌全体への広告出稿をボイコットするよう呼びかけたのは、同社への大きな圧力となった。
『マルコポーロ』編集部は、当初、抗議団体に反論のページを提供するなどとしたが、結局、文芸春秋社は『マルコポーロ』自体の廃刊、及び社長・『マルコポーロ』編集長ら記事に対して責任のある人々の解任を決定した。
ちなみに『マルコポーロ』1995年2月号が発売された、1995年1月17日、阪神大震災が起きたのは、あくまでも偶然である。