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2009-05-03 「パール祭り」と憲法記念日 New!
『パール判事の日本無罪論』と憲法記念日について、マスコミが報道しないことを少し触れましょう。
現日本国憲法が発布された日は、昭和二十一年十一月三日です。
その日には、 マッカーサー占領軍最高司令官による「呪い」が塗り込まれていると思っています。
それは、 米国に刃向かった日本の国家体制の根本は、すべての法律の基本法である憲法( 明治憲法)にその要因があると判断したからこそ、
マッカーサーが、現日本国憲法を発布させた日は、明治天皇の誕生日(天長節十一月三日)にしたと思えるからです。
その半年後が、今日五月三日なのです。 マッカーサーに押し付けられた現憲法は、限り無く「 東京裁判」の陰を引きずっているのです。
日本人が、「憲法記念日」を祝うということは、間接的に「東京裁判」を祝う式典でもあるのです。
それゆえ、「東京裁判賛否国民投票」には、「占領下憲法賛否国民投票」の意義もあります。
マッカーサーの陰湿な「呪い」は、憲法発布日だけでなく、マッカーサー将軍(元帥)を唯一敗走させた本間雅晴中将に復讐するため、
「パターンでの捕虜の移動」を「パターン死の行進」などと歪曲して、日本の 建国記念日である二月十一日に死刑を宣告しています。
また、 山下泰文大将に死刑判決を出した日は、日本が真珠湾を攻撃した十二月七日(米国時間) だったのです。
東京裁判(極東国際軍事法廷)に於いて、 A項(級)戦犯を起訴した日が、昭和天皇の誕生日四月二十九日で、
A項(級)戦犯を処刑した日は、洗脳政策の総仕上げとして、A項(級)戦犯の名誉回復の慰霊祭を、将来的に日本政府が実施できないように、
今上天皇陛下の誕生日十二月二十三日に執行されているのです。
「パール祭り」は、戦後、裁判を装った「復讐劇」(リンチ)で散華された英霊の名誉を、東京裁判の判事の中で唯一人国際法の専門家で在られたパール判事の「法の力」で、法廷との名の戦場で戦死した日本人の名誉を回復する意味合いもあるのです。
マッカーサーの「呪い」を解くためにも、「パール祭り」を成功させましょう。 URLリンク(www.freejapan.info)