09/04/08 10:29:56 9R4tpqoq0
なんかよぅ、さっきふと「自己嫌悪・自己否定」について思い浮かんだので書いてみるんだぜw
なんだか敵を作ってはそれに対して正義の戦いをする、というスタイルも、なんとなく
自分に対して肯定をしているようにも見えるんだけどもな、それをもう少し引いた視点で
見てみるわけだぜ。
とな、例えば……
「くだらねぇ父親にクソババアと呼ばざるを得ない母親だ。やつらに親の資格はない。」
「なんだって俺はこんな貧乏な家に生まれてきたんだ。親が資産家だったら…」
実はこんなのも自己否定・自己嫌悪だと思うわけだぜ。
「なんだって俺はいっつもこんなひどい目に遭うんだ。最悪の環境である。
みんな俺の話を聞いちゃくれない。だから俺はそれを訴える。訴え続ける。
お前らはみんな間違っていますよ、俺の苦しみはおまいらのせいですよ、と。」
この最後の一行だけを切り出してみてみると、どう考えてもその訴えというのは
「間違っている周囲」に対する「肯定的な訴え」に思えてしまうんだぜ。
これがエゴの罠だと思うわけだぜ。
その出発地点が自己否定から始まっている以上、例えその訴えの努力によって
改善されたとしても、とてもとても痛みを伴う苦難の道となるとわしは思うわけだぜ。
そしてどんなに状況・環境が変わったとしても、痛みの記憶は消えないんだぜ。