09/04/06 22:40:17 R62gqngu0
>>117
> 今一番欲しかった言葉かも。「自己の死と再生、どんな方法」
自己の死と再生という言葉にどんな風に近づいて行くのか?
このプロセスについて、108さんは、どん底で自身に刃を向けた経験を、
語ってくれた。
実は自分はもう20年以上むかしに、自殺未遂を何度も行って、実際に
数回、死にかけ、一度は臨死体験もした。しかし、そのような弱い自分は
死と再生とはかけはなれた遠いところにいた。
甘えて投げて投げ出す逃げ場のあるようなところでは、死や再生は起こらない
のではないか?...これは私の遠い昔の経験。
自己の死と再生にすすむ時に人は、もう充分だ、もう結構だ、と叫ばざるを
えないような心底の苦痛を味わう。味わって許容して、完全に自身に直面する。
自分と人生の全てを何か大きな存在へむけて降参して手放す。
世界観の大転換が起こって、そうする中で、何かが動き出す。
それは、ちょっと試してみるかな...みたいな甘い決心では起こらない。
大きな存在を信じて危険を冒して身を投げ出すほどの強い覚悟がなければ
なにも起こらない。
人の人生に無駄死にと言うものがあるかどうかは判らないけれど、
病んだ死と、そうではないダイナミックで、思いがけない、
苦闘の末にたどりつく生きながらの自己の死と再生は明らかに異なるもの
ではないだろうか。
精神的に土壇場の人たちの、もがいても、でも歩もうとする姿、
そういう人の話を学んでそう思うんだが。