09/05/22 13:33:19 9k9dCuwZ0
客体が夢で非現実的なものなら、客体を夢見る主体はどうなのか。この技法によって生じる最初の洞察の一つは、あなたの誤った自己間隔、エゴが消え始めることである。
エゴはあなたが生きている幻影全体の一部だからだ。エゴの自尊心を維持するには普段のエネルギーが必要であり、
すべてが夢であることを受け入れることにより、そのエネルギーはもはやエゴに利用できず、消え始めるのである。
矛盾することだが、すべてが夢であると主張することによって、新たな現実感が生じる。しかし我々が今関心を持っているのは、この瞑想の二次的な副産物―明晰夢―である。
日中にすべてが夢であると不断に考えることで、その思考態度が夜の夢に現れつようになり、突如として深く眠りこんでいながら、同時に目が覚めているのを体験し始めるのだ。
アティシャに関する限り、この新しい洞察が日常生活を変えてしまうのは、意識を持つようになるや、夢をありのままに(幻影として)見るからである。
意識と夢は両立しえない。客体と主体の双方がそれぞれの現実性を失えば、新たな目撃する事故が生じて、ありのままの姿を反映する。これが新の覚醒なのだ。
しかし実際に起こるまで、こうした霊的な永劫にのぼせあがらないようにしなければならない。目下のところは、単にテクニックを理解して、一日に二時間ほど時間を裂き、エネルギーをふりむけるようにすればよい。
明晰夢を生ぜしめることに関する限り、それが最も満足のいく技法である。