09/03/13 08:58:20 m7m9GcoK0
本スレ、流れが変わってしまったのでこっちにメモ書き…
熾盛光法でちょと気になった > 大日本史料第六編之四十七
南朝 長慶天皇の天授二年=北朝後円融天皇の永和二年(一三七六)(中略)
政情の安定している京都では、彗星出現への対応が興味深い。彗星は、六月二三日ころに
初めて観測され、幕府はいちはやく七月一九日から五壇法と泰山府君祭を修している。
北朝は閏七月一五日に、後白河・後鳥羽・後嵯峨の御陵に山陵使を発遣、
同月二八日には徳政条々を議定している。
一二月一六日には、内裏で熾盛光法を始め、彗星出現も契機のひとつとなっている(略)
彗星出現、徳政条々を議定、熾盛光法
|-`).。oO( Keyワードが3つ重なるように見えたっと。
参考URL: 東京大学史料編纂所
URLリンク(www.hi.u-tokyo.ac.jp)