09/03/01 23:20:36 seqwb3xu0
私は幼い頃、引っ込み思案で、人と口がきけないくらい人見知りが激しい子供でした。
ですから子供の頃から野山の自然が好きだったこともあって、人の前に立つことよりも、
自然の中で動物や鳥を相手にして暮らしたいと思うようになり、漠然と将来は牧場でも
やって、南米ででも暮らしたいという思いを育てていたのです。
そこで某農業系大学の畜産科に進んだのですが、そこでの現実に唖然とさせられました。
つまり、いかに効率よく畜産を行うかという、それだけの研究だったのです。
たとえば鳥の抜けた羽や糞を、蛋白質として再利用して食べさせようとか、羽ばたくと
その分エネルギーを消耗するので、ニュージーランドにいるキウイみたいな翼の退化
した鳥を作るとか、どう考えてもおかしなことを学問の名の下にやっていたのです。
実習に行った農場は鳥の孵化場で、卵からかえったばかりの雛を雌雄分別して雌だけを出荷します。
このとき、残りの半分の雄はどんどんポリバケツに投げ入れられるのです。
今でも思い出しますが、大きなバケツがいっぱいになると長靴でぐっと踏みつける。
するとぴいぴいという雛の悲鳴が一段と鳴り響きます。
そしていっぱいになったバケツの雄雛を穴に捨てるのです。
何日かしてその穴の前を通ると生き残ってぴいぴい鳴くのがいて、本当に胸が痛みました。
ショックでした。殺して何かのえさにするならまだしも、踏みつけてただ捨てるという
ことを見たときに、この仕事にはついていけないなと、思いました。
そこで初めて、今まで考えてこなかった世の中の仕組みその物に疑問を感じたのです。
現代社会はものすごい犠牲や矛盾の上に成り立っていて、利益のために陰でさまざまな
ことが行われていることに気づいたのです。
今まで見えていなかった部分の問題点が身に迫ってきたのです。