09/01/30 17:58:08 rCKRvAfX0
江戸の百姓の管理の末端にエタをおき、近世警察的な役割を担わせた。
また、町民の管理にはやくざ等をあてた。(岡っ引き、十手もん)
警察署や税務署の署は取締りを意味し所でなく 署=四つ者 と書くのは末端で管理するところの意味もある。
当然、武家社会の中で、憎まれたり、汚い面を担う役割を担う。また、今ではないがエタが百姓を馬鹿にしてたという史実も
うかがえる。
一揆を起こされればエタの首が飛ぶ、百姓に村抜けをされればエタの首が飛ぶ。
そんな状況下でエタは激しく百姓の生活に介入せざるをえない、かつ、百姓に怨まれたわけです。
そういう江戸期の背景があったから、明治期に入り百姓の激しいエタ差別が始まる。
明治維新の立役者は、薩摩・長州を中心とした倒幕派と江戸幕府との武士階級の争いごとであったのは
史実のとうりである。
ここで、大政奉還・明治維新で、何とかしなければ封建制度の頂点であった武士階級に民衆の反撃が始まる。それは士農工商という身分制度であり、
このままで行くと、民衆をコントールし、百姓から過酷な年貢取り立ててた武士は、不利な立場となる。 そこで登場「四民平等」・・なぜ国民平等でなく4つに絞ったか。
つまり、百姓らを苦行の目にあわせてたのは、エタとの図式が完成する。天皇のもと貴族・華族・エタ以外平等。そして、武士は華族としてまんまと生き残る。
(一説には、庄屋も同罪で、この図式を完成させ、大多数を占める小作人対策をしともいえる)
そして、片方では武士も下野し平等の社会が来たと、自らの身の保身を図ったといえる。