08/11/23 19:28:41 TXImwXAq0
現実主義者だが敢えて洪積世時の先進文明があった方向で考えてみるか。
シュメール文明での農作物収穫量を楔形文字で記した粘土板が出土されているが
単位当たりの収穫量は19世紀の欧州並だったらしい。
しかも豊作であったとかの記述もない。
従って作物品種や土壌改良などの技術は相当だったかと思える。
これは簡単に画期的な技術として急に現れたとは思えない。
気象の変化等はあろうが、以降はロストテクノロジーとなってしまっているからだ。
同時にそれだけの卓越した農耕技術を持ちながら、不釣合いに退化した粘土板で
記録している矛盾(だからこそ現代文明が当時を知ることが出来るのだが・・)
当然情報伝達や記録の手段としての文字が出来て以降だから5,000年前程度か?
当時の最大都市ウルで30,000人前後。
一方農耕技術の劣った3,000年ほど後のローマ3大都市は500,000~1,000,000で
規模が全く違う。
都市衛生や迷信の有無、都市そのものへの考え方などの違いはあるかと思うが
少なくとも帝政ローマ規模をも賄える作物収穫の量は当時確保していた訳だ。
現代とは逆で当時は絶対人口数が少ないから都市人口がそれだけってなことも
あるだろうが、洪積世時に一部が近世並の先史文明があったとすれば
それが受け継がれた可能性は捨てていない。