08/11/12 11:12:21 b+8Jlwtf0
さっきから言ってた「神」のことですが、
私の場合は、生命の贈り物も、ホオポノポノでも同じで、私の理解した神へ祈る。
私の理解した神とは、
天とか宇宙とか、これまでの幾世代とか、宇宙の法則、生命の法則、生物学や物理学や
社会学で語られたようなルールや哲学、人々や生命全体、大空、太陽や日光、私の身体、
天体、気象、私の最奥の人格、物事の成り行きや流れ……のような諸々の意味で、
私の理解した神を私自身は感じているので、生命の贈り物の祈りもホオポノポノも
私にはマッチしましたよ。
ウニヒピリとかインナーチャイルドとか又は
自分の最奥の良い整った方向を持つ人格・・・・のように、
相手を一つの人格のような形を保ったものと見立ててもそれでも別に違和感が無い感じ。
とにかく、こうして意識したり考えたりするいわゆる「自分」よりは、ずっと大きい。
自分がコントロールできなかったことを、自分に最善、のかたちでやってくれる存在。
その存在は愛する。その存在は私を裁かない。私はその存在をコントロールできない。
他の誰のことでもないこの私にとって最善なものを私に常に与えてくれると信じてる。
供給源。LOAで言われていた源のエネルギーもむろんこの神だと思う。
普段のへんてつのない日常の成り行きにもそれは宿っていると思う。
人それぞれに、やる人のその人なりに理解した神の在り方を
時には、考え考え唱えてみるのも大事なのかもしれません。
他人の語ったことや単に本の受け売りや借り物のメソッドとして祈るのではなく、
自分の人生や生き方全般を扱おうとするのが大事だし、結局は近道だと思う。
そうして、祈ること・唱えることを癖にして、
自分の身の上の、身に染込んだ営み、自分なりの営みに育ててくといいでしょう?
というか、そうでなきゃ無理。洗脳や狂信とはかけ離れた方策だから。