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青森県弘前市で1949年に起きた弘前大医学部教授の妻殺害事件で有罪判決を受けて服役し、
再審で無罪となった那須隆(なす・たかし)さんが今年1月24日、同県つがる市の病院で死亡して
いたことが5日、明らかになった。84歳だった。
事件は49年8月6日に発生。教授の妻が自宅で殺され、那須さんは約2週間後に逮捕された。
一貫して否認したが、4年後に最高裁で懲役15年の有罪判決が確定。63年まで服役した。
しかし、時効後の71年、「真犯人」と名乗る人物が現れ、那須さんは再審を請求。
77年に仙台高裁で無罪が確定した。
親族によると、那須さんは出所後、札幌市内の会社に勤め、転勤で青森県へ移った。約10年前、
つがる市の妹夫婦宅に引っ越したが、「冤罪(えんざい)のことは思い出したくない」と言ってほとんど
語らず、図書館で読書をする日々だったという。
那須さんは、源平合戦で扇の的を射落とした弓の名手として知られる那須与一の直系の子孫で、
那須家の第36代当主。与一生誕の地とされる栃木県大田原市は07年10月、与一や与一ゆかりの
品々を紹介する「那須与一伝承館」を開館。那須さんは那須家に伝わる史料約700点を寄託した。
これを受け、同市は那須さんに初代名誉館長を委嘱した。【塚本弘毅、柴田光二】
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