08/11/11 19:47:01 8I2D8EF00
>>431
小学生の頃からです。
>>432>>433
個人のオカルト心理解釈ですが、あれは自らが無意識の抑圧してきたものと向き合う時の
葛藤と、抑圧した中身の真実を知ったりそれを受け入れた時の成長の物語ではないかと思います。
抑圧しやすいものの一つが、「己の短所」や「罪悪感を感じる部分」でもあります。
それを「罪」としてもいい。その抑圧した罪と向き合い、その事実を受け入れることは、
すなわちそんな「罪」を持っている自分自身を受け入れ認めること。自己否定しないこと。
ハルマゲドンは「罪」と向き合い始め、しかし受け入れがたいため心の中で
激しく葛藤するシーン。再抑圧しようとする心と解放しようとする心の戦い。
で、抑圧側(善であろうとする自分)が神で、解放側(罪をもっている自分)が悪魔。
キリストの物語は、そんな「罪」をもつ自分の存在を痛みを伴いながらも許すシーン。
こういったことは神経症(重篤だと統失)の発病と回復の過程でもあるので、
「病と回復のシナリオ」ですね。タロットの「審判」も回復と言う意味がある。
「救世主(=キリスト)」は集合意識レベルで病に陥った世界を回復させる
重要な集合意識の回復機能だったのではないかと。前にも書きました。
現在も「不安と神経症の時代」らしいですね。
個人の意識も集合意識も仕組みは同じ。であれば、個人の無意識の中にも、
病を回復させる「キリスト機能」がひとりひとりに備わってるのかも。
(信者の方すいません; オカルトは異端なのです)
19世紀ビクトリア朝辺りの時代の性に対して過度に厳格な倫理観は、抑圧を生んで
多くの神経症患者を出したらしく、無意識の概念を最初に唱えたフロイトが出現しました。
でも彼は、「無意識に抑圧されるものは全て性的なものだ」という思い込みから、
無意識への正確な理解を抑圧してしまい、自分の学説の「塔」に閉じこもり己と己の学問の
進歩を幽閉しました。そして弟子のユングがフロイトとの激しい葛藤の末、フロイトと決別して
その抑圧を解放しました。フロイトも神経症でした。