09/04/26 18:23:24 TEdUtyjm0
Perfumeがブレイクした時、のっち以外の顔のイマイチさってのが、ある意味話題になった。
「のっちは確かにカワイイけど、あとの2人は・・・」
ってのがね。その奥には、
「スゴイのは中田ヤスタカであってあの3人ではない。誰でも、そう私でもPerfumeに成れた。
あの3人はただ単に運がいいだけ。」
っていうスィーツ的な嫉妬、ネタミ、ヤッカミがあったと思う。男の中にもね。
でもフォロアーとかパロディを見れば見るほど、Perfumeが、音楽にしろ、歌唱にしろ、顔にしろ、
体型にしろ、振り付けにしろ、ダンスにしろ、それらのシンクロにしろ、とんでも無い地平に立っていた
ってのを、ヒシヒシと認識する。
これは再認識ではなく、新たなる認識。フォロアーやパロディ見るまで気付かなかったもん。
その核にあるのは、もしかしたら、心根、『魂の清らかさ』みたいなものかもしれない。
「アイドルなんだから振り付け&ダンスはこんなもんでいいだろ?」とか
「J・POPなんだから、楽曲はこんなレヴェルで十分だろ?」
とかに堕しない、つまりはヤッツケ仕事的では無い、『クオリティの求道者』っていうか。
どの角度から接近しても、クオリティ的魅力を放っているのは、核に『魂の清らかさ』
みたいなのがあるからかもって。
『魂の清らかさ』を感じる芸能人ってのは、過去にもいたと思う。三波春夫にそれを感じたし、
宮沢りえにも感じた。でもPerfumeにおいては、その魂の清らかさってのが、音楽とかダンスとかの
各面におけるクオリティに奇跡的に接続されてるっていう。
MIKIKO先生が、「複雑なダンスをいかに簡単そうに見せるか」みたいな事を言ってるけど、
簡単な事を、デコレーションしてケレンミ振りかけてもったいぶってあたかも価値あるごとくに見せ、
それで商売する。それがザ・芸能界のディファクト・スタンダードだった。
でも、Perfumeは「クオリティの高い事を、分かり易く、簡単そうに」だ。
でもそんな『魂の清らかさ』はやがて、ザ・芸能界的な流れの中で、あるいはビジネスの現実の中で、
摺(す)れて失われてしまうのかもしれない。
でも、Perfumeには、ハキダメの中の鶴であり続けて欲しい。
そんな願いを込めて、ウチラはPerfumeの事を見守っているし、新譜に一喜一憂するし、また、
支えるための微力になれればって、思ってるんだと思う。
(長文スマソ)