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「母が子を慰めるように、わたし(神)もあなたがたを慰める」
「わたしのはらわたは、彼のためにわななき、わたしは彼を
憐れまずにはいられない」(エレミヤ書31・20)
神における"断腸の思い"である。
これは、どんなに深い罪の中にある人々でも、「はらわた痛む」思いをもって
その救われることを願う、慈母の心である。
真実の愛は痛みを伴う。
罪人に対する神の愛は、慟哭にも似た叫びなのである。
神の愛は、ときに神の義と対立する。
なぜなら、神の愛はすべての人が救われることを願う。
しかし神の義は、罰すべき者を罰しなければならない。
これは神の御心のうちで、激しい葛藤となり、心痛となってあらわれる。
しかし、この絶対矛盾的自己同一にこそ、実在の神の真実さがある。
聖書は決して"常に冷静沈着な神"を教えない。
実在の神は"心に痛みを持たれる神"である。私たちはこの神に対し、
深い共感と崇敬の思いをおぼえざるを得ない。
義でない神はなく、愛でない神もない。真の神は、義であって愛であり、
また愛であって義である。
仏教などでは、常に優しい慈愛だけの仏を説く。
しかし、峻厳な義と、優しい愛の両方を持った存在者でなければ、実在の神とは言えない。