08/03/27 20:56:35 QjYr1Cz6
詩の美しさを棄損せずにメッセージ性を保つのは簡単ではない。
しかしそれをせずに安直なプロパガンダ的なメッセージにメロディをつけても、まともなものは出来ない。
例えばチリのフォルクローレのメルセデス・ソーサの詩の一節
”二人の子供があらそっている 一本きりない日の光を取り合って”
いくぶん左翼的な含みが作品にあっても、こういう表現はそれにありがちなプロパガンダ的なものを、
見事に消している。絢香の詩はこれとは反対に単なるきれいごとの羅列である。
「紛争地の子供に笑顔ために歌う」人はやはり少しでも「子供たち」の方に近付かなければならない。
日本にいてもそれは出来ると思う。リアルな世界がわからないので難しいが、
それでも本人に心からそういう気持ちがあれば、少しでも近付けると思う。
砂漠が運ぶ 乾いた風は
悲しみの大地に 涙を落とす
オリーブ揺らす 乾いた風は
悲しみの大地に 憂いを残す
父や母や 祖父や祖母から
語り継がれた 悲しみの大地 悲しみの歌
子供たちの 澄んだ眼は
大地を焦がす 炎の前に
輝きを失い 憎しみに変わる
父や母や 祖父や祖母から
語り継がれた 悲しみの大地 悲しみの歌
(おわり)