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[オ~レ!オレ、オレ、俺]横浜FW・栗原 勇蔵(25)
前半、京都・パウリーニョ(左)と競り合う横浜M・栗原
◆J1第20節第1日 横浜M3―0京都(1日・日産スタジアム)
日本代表DF中沢が負傷欠場したが、横浜Mの木村浩吉監督(48)は動じない。その裏には強力な守備陣への確固たる信頼がある。
この日、キャプテンマークを巻いたセンターバックもそのひとり。序盤からスピードと強さで京都FWパウリーニョを抑え、
前半22分には約40メートルの強烈なミドルも披露。完封勝利に貢献し、「ボンバー(中沢)が抜けてたから、
みんな少しずつ集中していた。それが良かったと思う」と笑顔を浮かべた。
幼いころからやんちゃな一面があり、入団当初から「ケンカ番長」の異名を取る。ネット上でも数々の伝説が話題になり
「小中高はめちゃくちゃだった。かあちゃんが毎日呼び出されていた」と回想する。小1から新日本プロレスの熱狂的なファンで、
ずば抜けた身体能力を持つことが「番長」誕生の要因だった。
中学時代に背筋テストで200キロ以上を記録。「背筋」とあだ名をつけられ、腕が太すぎ「マグワイア」と呼ばれたこともある。以前、
地元のゲームセンターでパンチ力が計測できるゲーム機で遊んでいると、見知らぬ男性に「君、強いね」と体を入念に触られた。
実は有名ボクシングジムの人間で、その場でスカウトされた。自身も「サッカーよりセンスがあったかも」と苦笑する。
オシム体制で日本代表デビューも飾っており、その実力はチームメートの松田や中沢らW杯出場経験のある強力DF陣も認める。
横浜Mが誇る「番長」が今後も結果を出し続ければ、南アフリカW杯のピッチも見てくる。
URLリンク(hochi.yomiuri.co.jp)
◆栗原 勇蔵(くりはら・ゆうぞう)1983年9月18日、神奈川県生まれ。25歳。小学時代はFWとしてプレーし、
中学入学時に横浜Mジュニアユースに入団。その後、MFなどでもプレーし、センターバックとしてトップへ昇格した。
03年U―20(20歳以下)世界ユース選手権(現U―20W杯)に出場。06年8月のトリニダード・トバゴ戦でA代表デビュー。184センチ、80キロ。