09/06/12 18:06:55 KrcNqs0/0
> 国際プロレスに移籍後、実力を上げ若手エースの座を掴んだが、
>経営難からの話題作り目的で日本初の金網デスマッチを行ったことで、
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>意に反して「金網の鬼」の名が定着してしまう。
力士時代 - 国際プロレス
ストロング小林離脱後、一度はマイティ井上に先を越されるが、1975年4月にメインイベントで
マッドドッグ・バションを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得し、国際プロレスが消滅する1981年夏
まで6年間エースとして活躍した。
この時期はバションを始め、ジプシー・ジョー、キラー・トーア・カマタ、アレックス・スミルノフ、
モンゴリアン・ストンパーら北米ルートで来日するラフファイターらと流血戦を展開する一方、
全日本プロレスとの交流戦ではジャイアント馬場、ジャンボ鶴田らと、また新日本プロレスのマット
に上がり因縁の小林とも対戦するなど、精力的に闘った。
1979年8月のプロレス夢のオールスター戦ではセミファイナルで小林に勝利。
10月にはAWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクルとダブルタイトル戦を行い、反則勝ちしている。
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