09/05/25 11:45:23 TfAfe5+EP
仁鶴の芸風が師匠・6代目松鶴よりは寧ろ初代春団治に似ている理由で
6代目松鶴が仁鶴を初代春団治に縁の深い吉本に所属させたというもの。
これにより「今日の吉本の基は仁鶴が作った」とまで言われ
吉本の総帥といわれた林正之助でさえ、仁鶴には頭が上がらなかったといわれる
(初代桂春團治・横山エンタツ・花菱アチャコら数いる大物芸人ですら呼び捨てにしていた正之助が
仁鶴だけは「さん」付けで呼んでいたと後輩の前田五郎の著書にある)。
正之助は「仁鶴の面倒は一生吉本で見るようにせい」と言い残している。