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「しまった、地雷にやられた」。大将や工兵、スパイ、ヒコーキにタンク…。裏返しになった駒が何かを推理し、
敵の総司令部の占領を目指す。ぶつかりあう駒の勝ち負けに、集まった仲間たちと一喜一憂した。
一九七〇年代後半だったか。少年時代がよみがえる。
「軍人将棋」。行軍将棋とも呼ばれる。中高年の男性なら「友だちとやった」と思い当たる盤ゲームだ。
元祖とされる「大型行軍将棋」が、二一(大正十)年創業の室内娯楽品の老舗「奥野かるた店」(千代田区神田神保町二)で
今も販売されている。黄とオレンジに色分けした木製駒に、階級や兵器の印を押しただけのシンプルさは、当初から変わらない。
同店会長の奥野伸夫さん(78)によると、考案したのはJR浅草橋駅前にあった同業の「西口商店」。
初代店主の西口栄助さんが明治末、山形県天童市の駒職人に製作を依頼したのが始まりという。
紙箱には、○に「榮」のロゴが今もある。
戦略や駆け引きの面白さが受け、太平洋戦争前後の四〇年代が人気のピークに。
「将棋の王将などから大将などの軍人が浮かんだのかも。当時は兵隊遊び感覚で、縁台で楽しんだ」と奥野さん。
その後の兵器開発に合わせて「ミサイル」などの新兵器を駒に加えたものや、プラスチック駒も考案された。
五〇年代までは売り上げのかなりを軍人将棋が占めたという。
しかし八〇年代、盤ゲームはテレビゲームに主役を奪われた。軍人将棋は審判も必要で三人以上集まらないとできない。
販売数は年々減少し、西口商店は二〇〇一年に会社を整理。先代から懇意にしてきた奥野さんの店が軍人将棋の商標権を無償で引き継いだ。
既にプラスチック駒の製造は昨秋中止され、木製のものも在庫数十個限りという。「最近の子らが向かうのは、
相手のいないゲームばかり。昔の遊びは対話し、友情や親交を深めるツールだった。それだけに絶やしたくないが…」と奥野さん。
「人と人のコミュニケーションがもっと見直されていい。その意味じゃ、軍人将棋もまだまだ捨てたもんじゃない」と笑った。
記事元:軍人将棋 親交深めるツールだった(東京新聞)
URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)