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宮沢賢治(1896~1933年)は草稿におびただしい推敲(すいこう)を繰り返し、
時には作品の主題さえ変化するほど大幅な書き換えを行ったことで知られている。
この創作行為のすべてを再現しようとした『新校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、全16巻、別巻1)がついに完結した。
刊行が始まったのは賢治の生誕100周年が迫った1995年。
完結までに14年もの歳月を要したことになる。
その年月の半分にあたる7年を刊行に要したのが、3月刊行の「別巻」。
1977年に完結した『校本 宮澤賢治全集』(同)にはなかった膨大な索引を作る作業が大変だった。
全集では草稿すべてを収録し、書き込みや消しゴムの跡まで草稿の情報を明示している。
ただ、断簡零墨に至るまで創作の細部を再現したことで、索引を作るのは非常に難しい作業となった。
賢治が仮名を学んだ時期は歴史的仮名遣いから現代的仮名遣いへの過渡期だったため、同じ言葉
でも表記が違う例も散見される。また、同じ「落葉松」という用語でも、「からまつ」「らくえうしやう」など
とルビを振るなど、読み方も使い分けている。今回の索引ではこうした言葉の異同を収録しつつ、他の
用例を参照できるように工夫を凝らした。また「どっどど どどうど どどうど どどう、」(「風の又三郎」)
など、賢治作品の特徴ともいえるオノマトペ(擬声語)や方言に至るまで、幅広い表現を丁寧に拾い上げた。
「索引を作るのは校本の時からの夢。どの言葉をどう取るかという判断が難しく、方針を決めるのに苦労した。
試行錯誤しているうちにいつの間にか時間がたった」。編者の一人である大妻女子大の杉浦静教授は振り返る。
「別巻」には「停車場の向ふに河原があって」という一文で始まる未発表の詩稿も収録された。
編集作業中の昨年、岩手県花巻市の宮沢家の蔵を解体する際に見つかったものだ。
「蔵も解体され、今後新たな詩がみつかることはないかもしれない。遅れたからこそ間に合った」と杉浦教授は語る。
労作を作り上げた人びとをねぎらうために、賢治が残しておいた―。
そう思うのは、感傷的に過ぎるだろうか?(川村律文)
読売新聞 2009年4月24日
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