09/04/21 15:20:32 0
■キャリアのピーク、満を持してのJリーグ復帰だったはずが……
高原直泰が不調にあえいでいる。
2008年1月にアイントラハト・フランクフルトから浦和レッズへ移籍。
当時は28歳と年齢的にはプロ人生の最盛期。
Jリーグ復帰はおよそ6年ぶりのことで、その豊富な海外経験を基に浦和だけでなく、
日本代表での飛躍も大いに期待された。
高原自身、浦和加入当初は希望に満ち溢れていた。
「今日から浦和の一員として、チームの勝利のために全力でプレーしたいと思います。
サポーターの方たちに、納得してもらえるプレーをピッチ上で見せたいです。
FWなので結果を出して、認められるようにしたいです」
高原は人見知りする性格であると言われる。
しかし浦和には同じ静岡県出身で学生時代から旧知の仲である平川忠亮や、
日本代表の活動で付き合いのあった坪井慶介らの同い年の選手がおり、
彼らが高原のサポート役を買って出た。
実際、2008年初頭のグアムキャンプでは高原と坪井が同部屋になり、
常に行動を共にしていた。
また、当時の指揮官だったホルガー・オジェックと高原との関係も良好だった。
オジェックは高原をFWのファーストチョイスと考え、田中達也が負傷リハビリ中だったこともあって、
高原と同時期にアルビレックス新潟から加入したエジミウソンとの2トップでシーズンをスタートさせる心積もりでいた。
練習ではドイツ語を操れる高原が監督と選手の間に入って簡単なフレーズながらも橋渡し役をこなすシーンもあり、
この時点では、高原の前途に不安材料は見られなかった。
だが、その後の低迷は周知のとおり。
シーズン開幕2試合でオジェックが解任され、新たにゲルト・エンゲルスがヘッドコーチから監督に昇格すると、
その立場も凋落し、シーズン終盤にはベンチ待機を余儀なくされてしまった。
2008年シーズンの高原の個人成績はリーグ戦27試合6得点。
カップ戦(ナビスコカップ、天皇杯)4試合1得点。そして日本代表は4試合0得点。
ちなみに5月のキリンカップ・パラグアイ戦以降は岡田武史監督からの招集も途絶え、
今日に至っている。
>>2以降に続く