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17日午後8時、県庁の一室。金崎健太郎・県統括政策監のもとに、一報が入った。「承認ですね」。硬かった表情が緩んだ。サッカー・J2サガン鳥栖の営業権譲渡決定の知らせだった。
新運営会社「サガンドリームス」の井川幸広社長に早速、結果を伝えた。「いよいよこれで…。ええ、良かったです」。携帯電話を手に、水面下で橋渡ししてきた半年間をかみしめた。
井川氏とのつながりは、古川康知事が公約に掲げた「アジアのハリウッド構想」がきっかけだった。映像分野などの人材ネットワーク会社を経営する井川氏が、構想を提唱。知事が就任後、ブレーンとして総務省から招いた金崎氏が、その担当者だった。
昨年夏、打ち合わせで東京の同社を訪れた金崎氏は、事務所に張られたJ2新潟のポスターに目を留めた。「うちのクリエーターが作ったんだ」と井川氏。「ならば、サガンも作ってくださいよ」。話が弾み、井川氏が大和中、佐賀東高サッカー部OBと知った。
当時、サガン鳥栖はJリーグが新スポンサー斡旋の条件として求めていた100%減資を達成できず、断念。存続に赤信号がともり始めていた。
県は鳥栖フューチャーズ時代、チケット販売協力など側面から支援をしてきた。だが、97年の解散後は一線を引いてきた。ところが後継のサガンまで消滅しかねない事態に、Jリーグから積極的な関与を促された。
9月には県プロサッカー振興協議会を設立。「税金の投入は難しいが、県全体の財産として盛り上げていかねばならない」と、ホームタウンの鳥栖市と共同歩調を取りながら、知事自ら旗を振り始めた。
予期せぬ出来事もあった。井川氏と交渉を始めた10月、古賀照子社長の運営方針に危機感を抱く一部株主の意向を受けるかたちで、神奈川県に本社を置くマグロ貿易会社が経営参画を表明。混迷を深める状況に、Jリーグの鈴木昌チェアマンが「クラブ解散」さえ口にした。
もはや井川氏しかなかった。初めは冗談交じりでサガン経営を持ちかけた金崎氏だったが「企業人としての力量、サッカーや郷土への思いを考えると井川さん以外考えられなかった」。2度の臨時株主総会を経て、「救世主」が決まった。
(佐賀新聞2005年01月19日掲載)