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「右ヒザが治れば、まだ投げられると思った」1年浪人した36歳の右腕はキッパリと言った。
西武時代の05年終盤、試合中に右ヒザの靱帯(じんたい)を損傷。翌年を棒に振る大ケガをした。
復活を期した07年も、結果を残せず解雇された。トライアウトも不合格。泣く泣く浪人生活へ入った。
そして昨年、2度目のトライアウトを受けた後、駒大の先輩である中日の森バッテリーチーフコーチに
「(入団)テストを受けさせてください」と直訴。中日入りが決まった。
「ケガをして、左足の筋力が落ちてしまった。軸足が踏ん張れなくなって、ボールがいかなくなった。
浪人中は、母校の駒大のグラウンドを借りて、ヒザを完全に回復させることを優先し、走り込みなどで
体力づくりに明け暮れていました。ボクは頑固ですし、一度決断したら自分の世界に入りこむタイプだと
思ってるんです(笑い)。指導者になるとか考えたこともありません。
森さんとはたまたま先輩、後輩の縁はありましたが、この1年でダメなら現役を辞める覚悟でいます」
浪人中は収入がゼロ。貯蓄を切り崩しながらの生活だった。巨人時代の03年には
7500万円ももらっていたのに今季の年俸は600万円。全盛時の12分の1以下になった。
「昨年は全く仕事もしないでニートのようなものだったじゃないですか。これまでずっと
好きなことをしてお金をもらっていたのに、収入がなくてお金は出ていく一方(苦笑)。
お金を稼ぐということの大変さを感じました。たくさんもらえるに越したことはないですが、
活躍すればまた上がるわけですから、いまは苦にはならないですね」
94年のドラフト1位で巨人入団。02年には守護神として28セーブを挙げ、
日本シリーズの胴上げ投手にもなった。
95年、元ソープ嬢と結婚、離婚。元夫人が、河原との寝物語に聞いた
首脳陣やチームメートの悪口を週刊誌に暴露して大問題になった。
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