09/02/22 11:29:36 U6UQyum/0
>>196
バグレディ
バグレディは、竹内義和が原作、脚本を担当し、
「ハリウッドで制作をする」と喧伝していた映画の企画である。
事の顛末
竹内義和は、1990年代後半から数年にわたり、誠のサイキック青年団において、
「ハリウッドで映画バグレディを制作中である」という趣旨の発言を繰り返し、
「京都を舞台に幼い姉妹がバグレディに襲われるという話」、
「ロジャー・コーマンが脚本を見て絶賛し、俺に撮影させてくれと言い出した」、
「テリー・ファンクが経営する広大な牧場の一角を間借りし、映画制作のためにアメリカ事務所を設立した」、
「監督はスチュアート・ゴードンに決まった」、「特撮担当はスクリーミング・マッド・ジョージに決まった」、
「監督を日本に招き、長野県でシナリオハンティングをした[1]」など、
映画制作が順調にいっていることを喧伝していた。
ところが、あるときを境に、映画制作に関する話をぱったりとしなくなり、
映画がどうなったのか、なんの説明もない状態が続いた。
不審に思ったリスナーが、2001年に円山野外音楽堂にて開催された
誠のサイキック青年団の有料イベントにおける質疑応答で、
「バグレディはどうなったんですか?」と質問したところ、
竹内は「契約はしているので企画としてはあります」、「資金さえ集まれば撮ります」と曖昧な発言を繰り返し、
共演者の北野誠が「この話、何年も前から聞いてまっせ」と助け船を出して話を終わらせた。
このことから、映画バグレディの制作は頓挫したものと思われるが、
誠のサイキック青年団において、事の顛末は語られずじまいである。
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