09/01/17 18:26:09 01q8q7v00
>>177
1962年 経営主体が交通協力会から鉄道弘済会へと変更、公共企業・国鉄の球団であるという体面もあり相当の緊縮財政。
同年8月、球団譲渡を前提とした業務提携を産経新聞社、フジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)と結び、フジサンケイグループとの関係が生じる。この時点で経営主体はフジサンケイグループに移る。
1964年、主催試合を系列のフジテレビジョンで中継するために、本拠地を後楽園球場から神宮球場へ移転する。
同年オフ、当時の林義一監督の更迭・留任を巡り産経新聞と国鉄は激しく対立。
エース・金田が「林監督がそのまま続投した場合移籍するが、解任された場合は残留する」
との声明を出したことから国鉄は頑として林の更迭を主張、一方の産経サイドは
他社マスコミ(読売新聞(巨人軍の親会社)、朝日新聞、毎日新聞)により
「林監督更迭」のスクープを先取りされていたことがあり、両者とも平行線を辿り
最終的には経営主体の産経サイドが意見を押し切った。
林は留任し、金田は10年選手の特権を行使して巨人に移籍した。
金田を失ったことにより国鉄は経営意欲を完全に喪失し、フジサンケイグループへ
経営権を全て譲渡して経営から撤退することとした。
もとより国鉄球団は業務提携後フジサンケイグループの資金力に丸々依存しており、
移譲は時間の問題と見られていたが、喧嘩別れで球団譲渡という結末となった。
wikiより