09/01/17 17:12:22 kzIVpWiT0
>>148>>151
金田側の言い分はこう。
27 名前:神様仏様名無し様[sage] 投稿日:2008/04/09(水) 20:30:34 ID:Ub3BoJff
国鉄チーム結成の目的のひとつに「全国の国鉄マンのいこいのために・・・」というのがあった。
いまでこそなくなったが当時は“国鉄一家”という言葉さえあったほど。家族主義的なぬくもりがあった。
ワタシはいまでも“元巨人”というより“元国鉄”といわれることに喜びを感じている。
むしろ、ワタシの意思の外で“移籍劇”が進行していたというべきだ。
昭和39年ワタシは二度目のアメリカ旅行をしたが、帰国し、球団に顔を出すと出かける前と何か雰囲気が違っている。
その前年、国鉄が産経と資本提携した。
国鉄一途に投げ抜いたワタシにすれば、産経とのタイアップはなにか純血をよごされた気持ちがした。
もっとワタシにとってショックなことが用意されていた。
産経側は「高給取りの金田はチームに不用」という方針を持っていたのだ。
そこまで知らされて、居座りを考えては男がすたる。
そのころの野球協約にあった“A級十年選手”の特権「移籍の自由」を行使することにした。
国鉄スワローズは、ワタシとの訣別と同時にサンケイと名称をかえた。
ワタシはそのときから「国鉄スワローズ」はなくなったと思っている。
もうワタシの胸の内にしかないと考えた。が、それは間違いだったかもしれない。
あれから八年、ワタシが列車で地方に旅行すると、見知らぬ駅員サンが手を振ってくれたり
親しみを込めた口調で国鉄スワローズ時代の思い出を語ってくれる。
ワタシの青春を刻んだ国鉄は、まだまだ全国各地にいきずいているのだ。
昭和48年4月刊『いいたい放題 -ワタシの野球哲学-』より
(昭和48年ロッテ監督に就任して話題になってた頃の著書)
当時は今より更に球団は親会社(或いはそのワンマンオーナー)の持ち物という認識が強かったから
国鉄カラーの金田をサンケイが煙たく感じてたのは間違いないと思う。