09/01/13 21:03:18 0
1月14日、元オリックス・清原和博の自伝『男道』(幻冬舎)が発売される。PL学園高校で1年生から
4番を打ち、5度の甲子園出場で優勝2回、準優勝2回を達成し、歴代1位となる13本塁打を放った清原。
同じく1年生からエースとして活躍した桑田真澄とともに、「KKコンビ」と呼ばれ、旋風を巻き起こした。
85年ドラフト会議の目玉だった桑田は早稲田大学進学を明言したため、各球団は指名回避の方向で動いていた。
清原は巨人入りを熱望し、巨人も清原を指名するものと思われていた。だが、巨人は桑田真澄を指名。
自伝では、この時を振り返り、「僕はあの時、桑田を憎んでいた。そして、僕に桑田を憎ませることになった
王監督を憎んだ」と書くなど赤裸々な告白が次から次へと出てくる。
巨人から解雇通告を受けた際のことも詳細に振り返っている。「部屋に行くと、球団幹部が待っていた。
話は1分で終わった。その人は言った。『来季、君とは契約しないから。で、なんかある?』」。
このように、読み応え満載の清原の自伝。だが、清原の取材をしたこともある野球記者は
「どうしても突っ込んで欲しかったことがある」と言う。
清原が巨人を解雇された理由に、『ハイタッチ拒否事件』があります。解雇された05年の8月、
広島市民球場で本塁打を放った清原は、堀内監督(当時)やコーチ・選手とのハイタッチを拒否し、
ベンチへ戻った。
この試合から打順を7番に落とされたことが原因と言われています。しかし、この試合前まで清原の
打率は2割そこそこ。7番に降格されても仕方のない成績でした。解雇理由として、『チームの和を乱す
選手はいらない』と球団に判断されたとの見方が大方を占めていました。清原自身は『ハイタッチ拒否事件』
について、語ったことがない。自伝は非常に面白い作品です。ただ、この点や『なぜ西武時代の後半打てなかったのか』
についての言及があれば、さらに良かったです」
いずれにしても、野球ファンならずとも必見の清原和博の自伝。濃い人生を歩んできたからこそ
書ける、濃密な一冊となっている。
URLリンク(news.ameba.jp)