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大分が2―0で清水に快勝し、初優勝を果たした。
背負った十字架を下ろせる時がきた。“脱・キャリア社長”として奮闘した15年間の結晶。
溝畑宏社長(48)が、万感の思いで国立を舞った。「大分にかかわった、すべての人の
思いを持って勝つことができた」東大法学部から自治省へ入省。転機は1994年だった。
2002年日韓W杯の誘致活動に伴い、大分県企画部次長として赴任。サッカー経験はなかったが、
「自治省の仕事は地方を元気にすること。サッカーを通して、大分を活性化させるんや」
と大分トリニティを創部。ゼロからのスタート。練習グラウンド、事務所もない。資金集めに
奔走し、自身も営業活動に繰り出した。1日で50社以上のスポンサー探し。
1000万円以上にも及ぶ私財を投げ打ち、貯金は底をついた。
九州リーグからの出発。マウンドを削り平らにした野球場でのトレーニング、遠征は大広間での
雑魚寝。「観衆3人」という惨状も経験した。JFL時代の1997年。天皇杯で桃山学院大に
敗れ、心ないサポーターに石を投げられた。辞意を固めたその日の夜。自宅で横になり、
ふと天井を見上げた。翻意させた1枚の紙切れ。超満員のスタジアムを描いたイラスト図だった。
「J1に上がってスタジアムに3万人を集める。この夢を実現させなアカン」鋼の意思で
大分への忠誠を誓った瞬間だった。
>>2以降につづきます
スポーツ報知
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◆画像 大分トリニータ 溝畑宏社長
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優勝の記念撮影する大分イレブンの前を、
チームフラッグを体に巻いた金崎が横切り笑いを誘った
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