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ハダカマラソンの思い出
70年代に九州で小学生時代を過ごしましたが、その頃は、全校一斉のハダカマラソンという行事が
ありました。冬になると、全校生徒が一斉に校外のマラソンコースを走るのですが、そのさい、今では
とても考えられないことですが、男子だけじゃなく女子もショーツ型ブルマー一枚の上半身ハダカになって、
校外を長時間マラソンさせられていました。当時は小学生程度のおっぱいはおっぱいとは考えられて
いなかったようで、高学年で、もうおっぱいの発育した女子でも、容赦なく上半身ハダカにされていました。
高学年になると、もうおっぱいのふくらみかけた女子がけっこういて、中には、大人みたいに大きい
おっぱいをした子もいました。沿道に大人の男性がけっこう来ていて見物し、男の僕らにも「頑張れよ」と
声をかけてくれましたが、高学年女子がおっぱいをブルンブルンボインボインと大きく揺らしながら
恥ずかしそうに走るのを、ガン見してました。
今でもそうかも知れませんが、小学校では、学年を問わず近所の小学生が集まって集団登校していました。
僕といっしょに集団登校していたグループに、近所に住んでいる6年生のお姉さんがいました。当時僕は
4年生ぐらいでしたが、そのお姉さんは、勉強が出来て、大人みたいに落ち着いていて、とってもきれいで、
僕にとっては憧れでした。そのお姉さんが、全校一斉マラソンの日、ショーツ型ブルマー一枚になって、
大きく発育したおっぱいを剥き出しにしてブルンブルン前後左右に大きく揺らしながら、恥ずかしそうに
走っているのを、近くを走りながらガン見したものです。時々、恥ずかしさに耐えられなくなって、ゆれるおっぱ
いを手でおさえて隠そうとするんですが、ハダカで長時間走らなければならないため、ずっと隠し続けることは
ムリで、結局同級生や僕ら下級生の男子、沿道の見物客からおっぱいをガン見されてました。
351:名無シネマ@上映中
10/05/27 13:15:58 t6xRoCzT
今思い出すと、
恥ずかしそうにおっぱいを手でおさえるしぐさがどこか色っぽくて、また、ずっと手で隠した態勢で走り続ける
ことは出来ず、結局おっぱいを全開せざるを得ず、全開されたとたんいろんな方向にブルンブルンとゆれ
はじめるのは、なんか萌える光景でした。当時は見ていただけで、さほど萌えなかったんですが、
今思い出すと萌えますね。沿道の見物客たちもデリカシーがなくて、高学年女子が走っているとき、
「○○ちゃん、ボインすごいね~」(当時は「ボイン」という言葉が流行っていました)とか、「○○ちゃん、おっぱ
いプルプルだよォ!」とか平気で声をかけていました。そういう男たちの好奇の視線が問題になっていたのか、
結局そのお姉さんが卒業して2年ほどして僕らが6年生になったとき、全校マラソンは、上下とも体育着着用に
変更され、おっぱいは見れなくなりました。残念?お姉さんたちは結局見せ損だったかも知れません。
聞くところでは今でも冬季マラソンは続いていますが、90年代からはブルマーもいけないということになり、
上半身着ているばかりか、下もブルマーでなく膝まである体育用ハーフパンツで走っているそうです。
しかも、体調が悪いから走りたくないと言えばほとんど通るそうです。70年代はおっぱいのふくらんだ高学年
女子でも容赦なく上半身ハダカにされ、下はふとももの付けねまでむき出しのショーツ型ブルマー、よほどの高
熱でもない限り、走りたくないと言おうものなら、「そんなことでどうするう!」と怒られてブルマー一枚のハダカ
で外を走らされるのがオチでした。時代は変わった・・・そう思います。
352:名無シネマ@上映中
10/05/27 13:18:26 t6xRoCzT
身体検査
今はそんなことはないと思いますが、70年代ぐらいまでの地方の小学校では、身体検査は、高学年女子でも
教室でパンツ一枚になり、そのまま保健室に移動して検査を受け、終わるとまたパンツ一枚で教室に帰るという
やり方をしているところがありました。保健委員をしていると、検査の日の午前中いっぱい保健室に居続けて、
用紙にデータを記入する役をさせられたりすることもありました。小学6年生のとき、保健委員をしていて、検査
の日に自分自身は検査を受けず(別の日にまとめて)、保健室で用紙を記入する役を朝からずっと
やったことがありました。そのときは、4年生以上の全クラスが対象です。自分は検査を受けないので普通の私
服で保健室の椅子に座り、検査を受ける子から用紙を受け取ってデータを記入し、終わったら返します。
5年生や6年生になると、おっぱいの膨らみはじめた子が多くなり、中には大人みたいに大きいおっぱいをした
子もけっこういて、ほとんどの子が手や用紙で胸をおさえて隠しながら移動したり、検査を受けたりしていました
。僕に用紙を渡すときも、パンツは丸出しですが、片手で胸を隠しながら、もう片方の手で用紙をくれました。た
だそのさい、無言で、乱暴にバサッと机の上に投げるようにして渡してくる子が多かったので、僕はちょっと不
機嫌になっていました。保健室内には若い男性教師もいて、やっぱり女の子たちのマナーが良くないと感じて
いたようです。あるとき、6年生のクラスの女子の検査でしたが、「お前ら、ちゃんと気をつけせんかあ!!用紙
を渡すときは、お願いしますやろお!!きちっとせえ!!」と迫力ある声で怒鳴りました。
353:名無シネマ@上映中
10/05/27 13:27:16 t6xRoCzT
保健室内の空気が一斉にピシッと緊張感に満ちたものに変わりました。
ちょっとビビった女の子たちが、一斉に胸を隠すのをやめて
、両腕を下ろしました。勿論、おっぱいは丸見えです。そして、僕ら保健委員に用紙を渡すときも、「お願いしま
す」と言って(相変わらず無言の子もいましたが)、両手を添えて用紙を渡してくれるようになりました。その瞬間
は、おっぱいもパンツも、至近距離から確認出来ました。パンツは、綿の白パンツがほとんどでしたが、花柄と
か可愛いポイントの付いている子もけっこういました。僕は、任務に専念しているふりをして、丸出しになった女
の子のおっぱいやパンツを至近距離から眺め続けました。
その後のクラスでも、女の保健の先生が保健室の入り口のところで注意したり、緊張感が欠けてくると男性教師が
きつくしかったりを続けたため、少なくとも男性教師の目が光っている室内では、女の子は両腕を下ろして礼儀正しく
検査を受けていました。しつけというものはすごいな~と思います。性に興味が出始めたころだったので、女の子の
下着やおっぱいをまとめて見れたのはすんごいインパクトを僕の精神にもたらしました。大人に比べれば未熟とはいえ、
第2次性徴の始まったおんなの、パンツ一枚のハダカを至近距離から眺め続け、それも何百人という規模です
(当時、小学校は人数が多かった)。乳くさいにおいと生パンツ、けっこうふくらんだおっぱい・・・・。
パンツや乳のような、ふだん隠しているものを、規則や教員の指導によって半強制的に露出させてしまい、合法的に
眺めることができたわけです。後片付けまで全部終わったのは夕方、薄暗くなってからでした。
354:名無シネマ@上映中
10/05/27 21:16:28 RwGCMIY6
思ってたより面白かったけれど一番の盛り上がりに
欠けたかなと思う。
対戦相手校をもう少しとりあげてほしかった。