09/10/12 21:22:02 vIAhpryV
>>483
「好き」が芽生えると、その裏返しの「嫌い」が芽生える。
嫌いになられた相手にとっては残酷なことだが、
心を持つとはそういう残酷さを引き受けることだ。
心を持つ前の人形は、板尾を好きでも嫌いでもなかった。
心を持った人形はARATAに恋心を抱き、
同時に、板尾が自分にしていた行為が、
恋愛対象に向けるものだという事実に向き合う。
ARATAのことは好きだが、板尾のことはそうではない。
ARATAとするSEXは好ましいが、板尾とはそうではない。
そういう感情も、また生まれることになる。
ただ、板尾に対する嫌悪の気持ちが決定的に生じたのは、
ARATAの息が人形の体内を満たした後だろう。
つまり、板尾を嫌いになったのは、ARATAを好きになり、
好きなARATAに、"心"と"体"を満たされたから。
では、恋愛対象がなぜ板尾ではなかったのか?
それは、そうだったから、としか答えようがない。
繰り返しになるが、恋愛とは残酷なものだから。
ただ、そうなってしまった板尾側の事情は仄めかされている。
「(心を持つ相手とのやりとりが)面倒くさい」と言い放ち、
「(心を持たない)元の人形に戻ってほしい」と望む板尾が、
人形の恋情(心)を引き受けられるはずがないだろう。