劔岳 点の記 -ツルギダケ テンノキ-  3合目at CINEMA
劔岳 点の記 -ツルギダケ テンノキ-  3合目 - 暇つぶし2ch297:名無シネマ@上映中
09/07/19 12:24:59 o1qm5lrV
>>294
連投失礼。
山岳会は測量隊が登ったちょうど2年後の明治42年7月に、測量隊と同じ長次郎谷から、測量隊と同じく宇治長次郎を
案内人として近代の第二登頂を達成している。
その時の写真が 「もうひとつの劔岳 点の記 (山と溪谷社)」 に載っている。

山岳会には新潟の大地主がスポンサーについていたので、測量隊の登頂から2夏の間に多少の登山路の整備をやったのかも。
そして、測量隊を案内した長次郎が案内したわけだから、山岳会は「登らせて貰った」状態だったろうな。

ちなみに 「もうひとつの劔岳 点の記 (山と溪谷社)」 を読むと、不可解なことに、柴崎芳太郎自身の公式発言では
「宇治長次郎を案内人に雇って登った」ことは一切言及されていないが、状況証拠からは「宇治長次郎が測量隊の
案内人であった」としか考えられないとのこと。

新田次郎は、原作の巻末の取材記に
「柴崎芳太郎の生前に、剱岳登頂の実情を直接聞いたただ一人の人にインタビューできた。その人は入院中だった
のを病院から外出して2時間のインタビューに応じてくれたのだが、その数ヶ月後に亡くなった。このインタビューがな
ければ『剣岳 点の記』は書けなかった」
と書いてるんだが、そのインタビューの内容自体は新田次郎は一切書き残さず、談話も残っていないので不明。
「剣岳 点の記」は、若干の脚色はあるが、インタビューの内容を忠実に反映しているものと思われる。

原作に見られる脚色の例:
原作では、明治39年秋に柴崎が剣岳を下見した段階から長次郎が案内したと書いている。
しかし、この期間には長次郎は別な測量官の下で人夫として働いていたことが史料で判明しており、柴崎の下見を
案内することは不可能である。



次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch