09/06/10 21:26:49 Ru8mEV3K
リピートして気づいた事、もう一つ。
劉の留守電の言葉。「“あの”車」ではなく「“その”車」に聞こえたのは、自分の聞き間違いだろうか。
もし「その」車だったら、死の直前、劉が見てたのは過去の夢と希望だった赤い車と現実の鷲津が交錯する幻だったのか。
そう思ったら切なさが倍増した。
そしてそんな劉が確かに存在した「誰か」であった事を確かめ、かつ道の向こうに走り去っただろう彼の夢と希望を
自分の目でも見ようとした鷲津が、最後眼鏡をかけて再び歩き出す。資本主義の焼け野原に向けて。
賛否があるし、多分に観念的・叙情的とも言われるけれど、このラストは個人的にあってくれて良かった。