09/07/23 00:13:01 5eIL0vvi
最初、おじいちゃんの息が詰まったところの伊野の行動の解釈はこうですがどうでしょうか。
・じいちゃんはよう往生せいやと、周囲は9割9分思っている
・伊野は最後一瞥した女性が、おじいちゃん生きていてほしいと願っていることを察する
・そこで考えを変え、背中を強く叩いて赤貝を吐き出させ、助ける。
いかに長く生きるかでなく、建前・口先だけ「長生きしてー」と言われるでもなく。
伊野の行動の裏にあるのは決していのちに対する賛歌ではない。おじいちゃんの扱いが軽過ぎる。監督は伊野やおだぶつ間際の老人たちを通して生き死にを軽いタッチで描いている。
みな不誠実である。「人情」「相手の弱さを受け入れる・不実を許す」はある。伊野はすごく繊細で、人の期待・気持ちのうつろいを敏感に感じ取り、それに応えてしまう人だ。ただし繊細なだけに、気も弱く、ちょくちょくSOSを出してくる。
「おれ免許ないんや」「(若槻大学卒の刻印のある)ペンライトは親父のや。俺のやない」「(はっきりと)ニセ医師なんや。医者の資格がないんや」などと、心のどこかで気づいてほしいと思っている。
また、人々も潜在的に弱い面をさらけ出す。瑛太含め、村の人たちは盲目的に伊野先生を礼賛しようとする。何か絶対的なものを仕立てあげ、それに寄り添おうとする衆愚の弱さ。
伊野もまたひどくか弱い。しかし人間はみな弱いもので、なおかつ相手の弱さを受け入れる優しさを持っている。
相手の無理を聞いてやる・相手の欠点・不実を許す。それはしばしば、「愛」や「誠実」さよりも人間の関係を潤し、人間の心を豊かにする。
実際、伊野は人々の弱さをはことごとく受け入れたため、村はとても平和で幸せだった。
最後まで最善を尽くす終末医療はとても誠実な行いであるが、人を幸せにしない場合が多い。皮肉っぽく手厳しい刑事は誠実な害悪の象徴である。
しかし弱く不誠実な人間は苦しむ運命。中盤から浮き彫りになる伊野の苦悩・葛藤はまさにドラマである。
白衣を脱ぎ棄てるところはもはや誠実なまでの弱さ・優しさの極致。彼は八千草の願いをかなえ彼女に寄り添うためだけに今の地位を捨て、犯罪的行為を選択した。
すみません、途中から自分の考えをまとめる場にしてしまいました。
国語の問題っぽい映画だな。意見が分かれてもしかたない。
でもすばらしい映画だったと思う。