09/06/21 19:01:21 YKS3ve6S
>>172
本ではユダヤの娘の言葉は「ほんとうによかったんでしょうか?」と
疑問形で終わっているよ。
それは問いなんだよ。
そしてその問いはミヒャエルの父親の言葉に関係しているんだ。
人間の尊厳について語った哲学者の父の言葉はこの物語のいろんな場面で
いろんな方向から視点を変えて問い続けられている。
「わたしは他人がよいと思うことを自分自身がよいと思うことより
上位におくべき理由は全く認めない」
この言葉はこの本のテーマになっている。
ハンナは親切で子供たちにいい思いをさせてやったのかもしれない。
けれども子供たちからそれを望んだのではない。ハンナのやったことは
やはりいけないことだったのではないだろうか。
ミヒャエルが裁判官にハンナの無罪を訴えなかったのもミヒャエルがいいと
思うことをハンナの意志に優先させることができないからだ。だからミヒャエルは
ハンナと会いハンナの意志を聞くべきだった。けれどもハンナに会うということは
ハンナの罪、ハンナの秘密についても触れずにはいられない。それでハンナには
会えなかった。ミヒャエルはどうにかしてハンナに自分の心を伝えたいと思った。
それで会わずにハンナに朗読のテープを送った。ハンナには文盲というハンディ
キャップがありそれがハンナの世界を狭窄させそれが原因でハンナは朗読者の
女の子たちの嘆きが理解できないのではないかと思ったからだ。そううまくいく
はずはないが、とにかくハンナの心を緩めて広げることはできるのかもしれないと
考えたからだ。ところがハンナは文盲を克服した。そんなにうまくいくとは思わなかった
ミヒャエルは喜んだ。しかし文盲を克服したハンナは自殺してしまう。広がった世界は
彼女から自信をうばい、今まで感じなかった罪の意識がめばえたのではないだろうか?
ミヒャエルは思惑があって、それはハンナのためになると思ったことだったのだが、
ハンナの文盲をどうにかしようとした。しかしそのために彼女は自殺してしまった。
本を足場に自殺したというのは象徴的だ。最後にまた父親の人の尊厳に関する言葉が
生きてくる。他人がいいと思うことを自分自身がよいと思うことよりも上位におくべき
ではない。