10/04/15 15:19:30 vvshXNeQ
1932年11月25日には悪名高い歳入補填国債の日銀引受発行が開始された。
これによって1932年から34年まで財政支出は毎年20%ずつ増加することとなった。
その後、景気は急速に回復しはじめた。
1931年には10%を越える激しいデフレが起こっていたことから考えると驚くべきことだが、
高橋蔵相在任期間の平均のインフレ率は急速に上昇し、2.4%前後で極めて安定的に推移していた。
恒常的に年率10%以上のインフレが続くのは高橋蔵相が暗殺された後、
実質的に軍部が政治的実権を握り、軍事費の急拡大に歯止めが掛からなくなってからのことだ。
さらに興味深い事実は、こうした超積極的な金融政策の運営とデフレからインフレへの転換にも関わらず、
長期金利は高橋財政の期間を通じて低下トレンドを維持していたことである。
今日、強力な金融緩和(インフレターゲットや大規模な量的緩和政策の導入)に反対する論者の主張とは
全く逆の現象が起こっていたということは強調してもし過ぎることはないものと思われる。
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