10/02/14 23:49:00
藤沢数希氏のつぶやきに私がコメントしたら、意外な反響があった。
誤解をまねくといけないので、少し補足しておく。
>日本の知的能力の高い人がお医者さんや弁護士にどんどん配分されるのは
>社会的には大きな損失。起業して新しい価値を作り出したり、科学技術の発展に貢献した方がいい。
という彼の意見は正しい。医師や弁護士の所得が高いのは、免許制度で供給を制限している
ことによる準レントで、彼らの労働生産性は低い。医師の仕事の大部分は定型的な診察業務で、
もっとも偏差値の高い学生が医学部に行くのは社会的な浪費である。
弁護士に至っては、フリードマンも指摘したように免許で規制する理由は何もない。
本人訴訟が誰でもできるのに、代理人に免許が必要なのは論理的におかしい。
では、なぜこのように非生産的な業務が免許制度で強く保護されているのか。
これについてのフリードマンの分析はおもしろい。彼はこうのべる:
>免許制度は、国家によって守られた独占である。中世のギルドは、そういう制度の特殊な例であり、
>インドのカースト制度はもう一つの例である。カースト制度は、各人の職業がその人の生まれついた
>カーストによって完全に決定されると思われているが、実際にはそんなことはない。
>その構成員は、さまざまなサービスへの需要にあわせて変化したのである。
要するに、免許制度は現代のカースト制度なのである。ただし、それはまったく無意味な制度ではない。
Milgrom-North-Weingastも指摘するように、中世の都市でもっとも商業が栄えたのは商人ギルドの
発達した都市であり、それは情報の非対称性を解決するシグナリングの機能を果たすと同時に、
不正な取引を行なった者を「村八分」にすることによって商取引の安全性を守る意味があった。
しかしシグナリング機能のためには資格認定で十分であり、無免許営業を禁止する必要はない。
医師免許も人命にかかわる「コア医療」に限定し、町医者は資格認定にしたほうがいい。
それによる医療ミスのリスクより、免許による独占で医療費が上がり、医師不足で生命が失われる
社会的コストのほうがはるかに大きい。
パイロットの場合は、企業が採用する段階でスクリーニングすれば足りるので、免許は必要ない。
民主党は規制仕分けを実施するそうだ。「反小泉」をかかげて規制強化路線をとってきた彼らも、
成長率を引き上げるには規制改革が必要だという当たり前のことにやっと気づいたのだろう。
「新しい公共」を実現するには、1200もある国家資格とそれに結びついている天下り団体を廃止し、
彼らにクラウディングアウトされてきた公的な業務をNPOに開放することが不可欠である。
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