09/11/15 15:59:06 uE/bcp+R
昔のことだが
フォードが1920年代に変わり映えのしないT型フォードを作りすぎ、
GMのK型シボレー毎年マイチェン戦略に負けてしまったのは有名な話だ。
これでフォードは生産台数世界一の座をGMに奪われた。
ここまではよく知られる逸話だが、続きがある。
で、パワーもデザインもシボレーに対抗できるA型フォードを急造したら
翌1928年にGMは、当時のアメリカ製大衆車がフォードも含め4気筒ばかりだった時代に、
スムースな直列6気筒「ストーブボルトシックス」搭載の新型シボレーを投入してきた。格から言えば中級車並みの上等なエンジンだ。
ヘンリー・フォードはいきり立ち、「高級車同様なV8を積んだ大衆車を作れ!」と部下に命令(これ自体は1932年に実現した)。
同時にA型を拡販してシェアを取り戻すため、工場のフル操業に乗り出した。
ところが1929年10月、世界大恐慌が発生。
GMの辣腕経営者、アルフレッド・スローンは情勢のヤバさを見て取り、速やかにシボレーの生産調整に入った。
フォードは生産のアクセルを踏みっぱなしだった。生産台数世界一を取り戻した。
はっと気付いてアクセルを戻したときには遅かった。
生産過剰となり、反動で経営不振に陥って、三番手だったはずのクライスラーの大衆車プリムスにまで一時抜かれた。
結局、着実に損を抑えて収益を上げることの方が、名前だけの世界一よりよほど重要だって事だ。