09/11/05 01:06:06
>>1の続き
アジアで国際金融センターの成功例とされるシンガポールに長く勤務していた銀行マンは、東京がそれになり得ない理由を次のように指摘する。
(1)日本では日常生活で英語が通じないため、家族も含めて生活しづらい。
シンガポール人は英語が下手でも何とかコミュニケーションを取ろうとするが、日本人は逃げてしまう。
(2)日本政府は外国人に住みやすい街をつくろうしない。
シンガポールは外国からの勤務者が安心して暮らせるよう、生活に不可欠な制度をまるごと輸入している。
例えば、日本の医師免許を保持しているだけである程度の診療行為が認められ、金融マンとその家族のために日本人医師を招いている。
(3)日本では女性が働きにくい。安価なベビーシッターがいなければ、女性は長時間働けない。
保育所に預けていては残業できない。
金融業では勤務時間の限定が活躍の場を限定するから、昇格に支障が出る。
安価で優秀なベビーシッターの供給国であるフィリピンが近くにありながら、日本はそれを利用しない。
(4)日本の硬直的な労働時間管理制度。
工場のブルーカラー管理を主眼とした労働基準法で、ホワイトカラーの銀行員を縛る。
このため、東京は残業代がかさむことで有名だし、自分のペースで長期休暇が取れない風土も不評だ。
ホワイトカラーは勤務しづらく、経営にとっても労働コストが高くつく街である。
耳の痛い話ばかりである。
こうした日本に対する欠陥の指摘は、社会制度や文化・風土の違いに立脚している。
つまり、グローバル社会と一線を画そうとしている我々の深層心理が突かれているのである。
自分たちの社会の価値観やルールが明らかにグローバルスタンダードからずれているのに、
最も国際的に画一化されたビジネスである国際金融業が世界に向けて成り立つわけがない。
「観光立国」というキャッチフレーズに対しても、同様の理由で危うさを感じるのは筆者だけではあるまい。
グローバル化に背を向け、「内需主導」は現状肯定願望
話を本題に戻す。
日本で「内需主導」が魅力的に聞こえるのは、
我々自身がその生活をグローバル社会にさらすことを嫌がり、国内ルールで完結する社会を求めているからではないか。
実は、内向きで現状を肯定したい感情が「内需主導」という言葉を「不死鳥」にしているのではないか。
金融センターの事例で見られるように、日本はグローバル化が苦手だ。
居心地の良い自分の庭を離れて外に打って出るというのは、現状維持を好む高齢有権者が多いこの国では、政治的にも聞こえが悪い。
しかし冷静に分析すれば、これまでもそうであったように、現実の食い扶持の多くを強力な製造業に立脚した外需に求めていくしかない。
全体のGDPは中国に抜かれても、わが国の1人当たりGDPは非常に高い。
少子高齢化の日本にとって、重要課題は高い生産性の更なる向上である。
足元から40年後を見渡しても、中国や米国という需要が強い国々と近く、歴史的に深いパイプがある点は他国にない強みと考えるべきだ。
ここは誠実に国民に理解を求めよう。
高い生産性を背景にした「バランスの取れた内外需要」主導の経済立て直しを実現するため、鳩山政権は産業政策を行ってもらいたい。
内需と外需に区別した議論自体が時代遅れなのである。