09/10/24 01:35:03 aT9Ep7xY
>>285
当初一番空港誘致に積極的だったのは神戸。
1971年には自ら滑走路5本の大空港計画を国に提出してる。
まっさきに反対したのは泉州市町。早々と反対決議してる。
それなのに元の神戸市長が反対に回らざるを得なかったのは、運輸省が
「神戸沖空港案は公害の心配はない」と最後まで明言しなかったから。
だから、当時の市長は
「公害がないという保証が事業主体から得られない現段階では、反対という立場を取らざるを得ない。」
といったまで。そして同じ時期(1973年)に大阪府知事も空港反対を表明している。
URLリンク(www.kar.or.jp)
2ページ この事実は完全に歴史から消されてしまってるね。
80年代に神戸が再度名乗りをあげても、結局泉州に決まったのは、それ以前の経緯など関係なく、
インフラが既に整備され、こじんまりしてローコストな神戸沖案よりも
主要空港計画というより「大阪南部、和歌山の後進地域の開発プロジェクト」と化し、
高速道路整備や鉄道整備、臨海都市開発、泉州市町が空港受入代償に約束させた都市開発や
土取跡地開発など、莫大な国費が関西に投入される泉州沖案を大阪財界が支持したからなんだけど。