09/06/13 11:00:43 lE1OxM7L
社長にはなれなかった三井さんがAPTOを仕切っていた頃が日本IBMの一番良い時期だったかもしれない
ヘリコプターで犬和に乗り付けるとか、結構派手に経費を使ったようだが、経営姿勢はそれなりだったと思う
形ある製品を日本IBMから世に送り出し、日本IBMの存在も世界に知らしめていた
部下であるライン(SPBU、WSBU)の管理は厳しかったと聞いているが
そして北城さんもそれなりのバランス感覚を持った経営者だったと思う。
しかし、APGの面倒も見るように仕事をアサインされ、その後日本IBMは外堀を埋められてこんな姿になってしまったのではなかろうか